電気の効用と言っても別に肩こりがとれるとかそういうのではありません(笑)。ようやく日曜日に電気工事士の資格取得のための実技試験が終わりました。これは6月5日の筆記試験を突破した人しか受験することができません。いやぁ独特の雰囲気に緊張しました。しかし、これは奇跡と言ってもいいでしょう。電気のことなどまるで未知の世界だった私が、単線図を見て自分で複線図を起こせるようになり、しかもその図面を見ながら器具の組立・配線ができるようになったのですから。これは配線図が読めて図記号の意味が分かって、かつ、必要なケーブルの長さを計算でき、さらに工具を的確に使ってしかるべき作業をこなせないとできないことです。とはいえ、試験の合否については9月になるまでまったく読めません。まさにインシャーアッラー!このインシャーアッラーという言葉、私流に日本語に訳すならば、人事を尽くして天命を待つが近いのではないかと思っています。別にアラブ人の言い逃れのための言葉ではなく(わはは。)人間の傲慢さを戒める言葉です。さてと、試験の合否は別として、ようやく4ヶ月に渡る通学生活から解放されました。慣れとは恐ろしいもので、あんなにキツイと感じていた学校がなくなるとそれなりに寂しいものです。そして、いつものことですが、試験の後は気分転換に上野の森にくり出しました。今回は国立科学博物館の「縄文vs弥生」。人類学と考古学の立場からの見解による縄文と弥生の対比です。まあまあだったかな。たぶん面白かったと思います。自分が学術的なことには殆ど興味がないことをあらためて確認しました(笑!)。なにせ、常設展の宇宙のコーナーに行っても展示の内容そのものよりもガリレオ・ガリレイが使った望遠鏡に巻いてある皮にほどこされた模様(彫り物)の方に関心がいってしまう人ですから。縄文vs弥生もしかり。道具とか鋳造とか鍛造という単語にちょっと敏感に反応して、あとは装飾だの文様にしか興味がわかないのでした。でも、そういうものはちょこっとしかないのですぐに見終わってしまいました(笑!!)。あとは上野駅の向かいにある素晴らしい古書センターを今回新たに発見して、古本漁りをして、夜はクラスのみんなと打ち上げをして帰ってきました。電気(の勉強)の効用は、まぁ相変わらず未知の世界にしても、以前ほどの嫌悪感はなくなり、日常の作業の中で不明なことが出てきたら自分で調べられる自信は少しついたかもしれません。え?たったそれだけなのかって?いえいえ、すごい進歩です!(^o^)
縄文vs弥生。チャンスがあったら私も行ってみます。日本の昔のことって何故よくわかっていないのか不思議です。かなり面白い文化があったのはわかるのに。
インシャーアッラーはもっと神に委ねてます。人事を尽くす前にです。だから、アラブ圏では約束をするのが難しいのです。だって、約束の場所と時間に到着前に自分の身や回りの人の身に何が起こるかわからないのですから。
全てを委ねてインシャーアッラーです。うまくいったらこれも自分の力ではありません。アルハムドリッラー。アッラーの思し召しがあったということになるのです。
お〜。アラビア語博士の登場だわ(^-^)。
補足どうもありがとう。勉強になりまする。アラビア語の裏に隠された深い精神性のようなものが私は大好きです。
そのうちアラビア語コーナーとか作ってアヤゴンさんに解説してもらいたいなぁ。彼らの交わす挨拶の言葉の美しさとかね(^-^)。シュクラン!!