夕べ(月曜)、学校(電気の学校ね)から車を運転しながらの帰り道。なんとなくつけているラジオ。流れてくるのは、放送作家の小山薫堂さん(*注1)と編集者の石川次郎さん(*注2)の対話。石川さん、マガジンハウス(当時の平凡出版)に就職する前は旅行代理店にいたんだって。1964年のこと。あっ僕の生まれた歳です、と薫堂さん。そう、東京オリンピックの年です。私にとっても姉の生まれた年だったりして、なんとなく身近な年。私、知らなかったんですが、この年に一般の人々の海外渡航が解禁になったのですって。それまでは貴重な外貨が減らないよう保護していたんだって。へぇ〜!そんなに昔のことではないのね(って、40年も前だけど。)ってちょっと驚いたわけです。そういえば、民放テレビ局の財団で働いていた時、第一線を退いたおじさま(元カメラマン)が言っていました。僕たちはまだ普通の人たちが旅行に行けない頃、バカ重たい機材をしょって取材であっちこっち行ってきたんだよって。なるほど。その時の私は、自分の生まれるはるか昔の話に違いない、なんて勝手に思っていました。ふぅん。そういえば有名な話ですが、当時、円の実力なんてよくわからなかったアメリカ人がレートを決める時に「お〜、円はサークルなのね、そいじゃぁ1ドルは360円(円は360度)にしちゃおう!」(って言ったかどうかは知りませんが。笑)って適当に決めちゃったんですよね。若い頃は、白人を見ればとにかく英語(つまり外国語=英語)で話しかけ、外国=アメリカって思っている日本人て、なんか馬鹿っぽいななんて、今思えばずいぶん生意気なことを思っていたものですが、石川さんのお話を聞いていると、当時の日本の空気というか活気のようなものが伝わってきて、なるほどさもありなん、私も当時に青春時代を送っていたならば、きっと「ビバ・アメリカ!」とか思っていたに違いありません。私も少しは大人になったのでしょうか(笑)。短大ではアメリカ黒人文学だの公民権運動だの人種差別だのの講義を選択していたので、なんか60年代〜70年代の時代の気風みたいなものが、ふ〜っと自分の中で色々つながりました。誰でも自分が生まれた年の近辺の時代ってなんだか懐かしく感じるものなのではないでしょうか。私も大好き。古本も大好き(古い本の匂いをかぐと異様な高揚感を覚えます)。で、特に30〜40年前の本が大大大好き。この頃のもので自分の好きなテーマのものを見つけると即買いです。版下(今は殆どデータで入稿)で一生懸命作ったんだろうなという活版印刷、明朝体、モワレだったりちょっぴり版ズレだったりする色褪せた写真。どことなく間の抜けたレイアウト。最近は見かけなくなった乱丁・落丁。古い紙。当時の(外国の)風景、人の顔、ファッション。今はもう、どこにも存在しないものなんだな、なんて妙にセンチメンタルな気分にひたってしまいます。自分は(生まれて)確かにその時代にも存在していたはずのに、(小さすぎて)認識しきれなかった時代のことを再確認しているのかもしれません。既になくなってしまったもの、物理的に存在しないもの、変化した価値観。大昔のことならロマンに感じるけれど、もしかして自分も知り得たかもしれないちょっと昔のことだと、妙に郷愁を感じてしまいます。そういえば、学生時代、なんだか自分の周囲の世界になじめなくて、「生まれてくるのが20年ばかり遅かった」と感じていたことを久しぶりに思い出したのでした。
ちなみに「青年は荒野をめざす」は1967年に出版された五木寛之の著作(文芸春秋)。森本哲郎の「サハラ幻想行-哲学の回廊-」(1971年刊行・河出書房新社)もおすすめです。これは我々の時代に旅のバイブルだった「深夜特急」(1986年刊行・新潮社)の著者・沢木耕太郎の時代のバイブルです。
*注1 小山薫堂 放送作家。「カノッサの屈辱」「進め!電波少年」「料理の鉄人」などで注目を浴びる
*注2 石川次郎 マガジンハウスの編集長として「ポパイ」「ブルータス」「ガリバー」などを世に出す